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『狂った主人たち』:ジャン・ルーシュの映画(その2)

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Maîtres fous (1954)

 吹奏楽団による行進曲の流れるタイトルバックに汽車のショットがつづく。アッカ。市場や港でさまざまな職業に従事する都市労働者たち(街頭で娼婦たちがデモをしている)。

 ソンガイ族の出稼ぎ労働者らがとある日曜、すぐれて現代の神でありテクノロジーの神である「ハウカ」を呼び出すべく行う儀式が生々しく記録される。

 霊媒たちが特殊な言語(いっしゅの合成言語であるグロッソラリア)を使って演じる儀式の内容をさっぱり理解できないままルーシュはカメラを回していた。参加者のひとりの事後的な教示によってそれが植民者のイギリス人らを戯画化したパロディー的な寸劇であるらしいことが明らかになる。

 アンドレ・バザンの卓抜な形容を借りればさしずめ「憑依のコメディア・デラルテ」である。

 植民者を狂人が演じているとも、植民者じしんが狂人であるともとれる両義的なタイトルの妙。

 眼鏡をかけ髭をたくわえた軍服姿の人形の頭に生卵をかける儀式が女王の護衛の被る羽飾りのついた帽子にカットバックされるといった“エイゼンシュテイン的”ないし“ヴェルトル的”なモンタージュ。

 「[彼らの]暴力的な演技はわれわれの文明の反映にほかならない」。

 ラストでは翌日、各々の仕事場でごくふつうの一般市民に戻った霊媒たちが映し出されるが、そこに儀式中のかれらの姿がフラッシュでインサートされる。温和な微笑をたたえる港湾労働者のアップが唇から血を滴らせて犬の生肉を頬張る彼のアップにカットバックされる。

 「アフリカの人々が[現代文明の中で]正気を失わないための特効薬はまだ知られていない」との字幕とともに映画は閉じられる。憑依はいっしゅのセラピーであるということか?


 ルーシュの即興でのナレーションつきで人類博物館で初上映されるも、師マルセル・グリオールらをはじめとする列席者らの猛烈な非難を浴びる。ヨーロッパ人たちは“狂人”と等置されたことに怒り狂い、アフリカ人たちは自民族の野蛮な描写に怒り狂った(殺した犬の肉を煮えたぎる鍋から手づかみにして貪り食うといったショッキングな場面があるが、これはタブーを超越することで神と化したことをあらわしているらしい)。


 蚤の市で手に入れて愛用していたぜんまい式のベル&ハウエルは最長25秒のショットしか撮れず、3分ごとにネジを巻き戻さなければならなかったが、キャメラが止まっているその間に頭の中で素早く次のショットのプランを立てる猶予をあたえられたことで、眼前でつぎつぎと生起する不測の事態にかろうじてついていくことができた。キャメラのモーター音を避けて離れた場所に設置された連続30分の録音が可能な録音機材(録音はのちに常連俳優となるダムレ・ジカ)には、キャメラのネジを巻く際の「コーヒーミルのような」ノイズも録音されていたが、それもぎゃくに編集の際の格好の目印となり、映像との同期化に貢献した。


 人類博物館での一件を聞きつけたピエール・ブロンベルジェの提案で35ミリにブローアップされ(16ミリでは音声の編集が不可能であったため)、ナレーションがつけられて一般公開される。ナレーションにおいてはルーシュが霊媒たちの台詞を“通訳”している。ダビングに際し、ルーシュはアントナン・アルトーの顰にならって文面をオートマティックに暗唱できるようになるまで(つまり霊媒たちに“憑依”される状態がととのうまで)くりかえし稽古した。


 本作の撮影は『大河の闘い(Bataille sur le grand fleuve)』の現地上映に居合わせた「ハウカ」教の司祭らの教唆によって実現した。こうしたインタラクティヴ性はルーシュがのちに方法化する「フィードバック」の嚆矢となる。

 ヴェネツィア映画祭に出品された後、名物ミニシアターのラ・パゴードゥでベルイマン『道化師の夜』の同時上映作品として一般公開される。


Mammy Water (1966)

 『狂った主人たち』と同じ1954年に撮影された。地図へのズームアップ。アッカ南西の港町。ルンバをバックに椰子の木が繁るリゾート色ゆたかな海岸が映し出される。沖に漕ぎ出す漁師ら。背後に白亜の城郭を望む浜辺で戯れる少年たち。ポルトガル人が上陸時に建造したものであるという(植民地主義へのさりげない言及)。椅子に安置され着飾った女性司祭の亡骸を囲む女性たちによる通夜の光景。波打ち際での豊漁祈願の供儀。





by silesius | 2018-12-12 02:07 | Comments(0)